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【アンナチュラル】10話最終回感想:どんな壮絶な過去でも自分の人生は自分で選べる

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金曜ドラマ『アンナチュラル』|TBSテレビ

 

 

んも~~最後の最後まで予想を覆し、二転三転した最終回。いきなり中堂の恋人・夕紀子パパの登場も唐突で、こうでもしないと事件解決に向かわないから仕方なかったかーという感じが否めなかったけど、全体を通して緩急がすごいし、途中もうダメかと思いつつ、最後のカタルシスがすごすぎて余韻がいまも続いています。

※この記事をまとめているのは5月ですが、いまでも余韻が思い起こされるほどです。

 

ただ、本放送のときの中堂vs宍戸対決シーンで何回もCMぶつ切り、あれはいただけなかったなー。スポンサーがついた分の10分延長かよ!って思ったわよね。

 

 

 

 


以下、ネタバレを含みます。注意!!文章長めです!

 

 

 

 

壮絶な過去は自分の人生を狂わせる

1話から続いた謎の事件、いよいよ最終回で動き出すんですが、やっぱりミコトの強さと弱さが思い切り描かれた部分が好きです。

 

今までずっと真摯に法医学に向き合い、前向きに生きてきたミコトが、母親との会話で初めて弱音を吐くシーンが印象的でした。

 

「私、ずっと悲しむ代わりに怒ってた気がする。負けたくなかった。不条理な死に負けるってことは、私を道連れに死のうとした母に負けることだから。でも、毎日どこかで人が死んで、その分、誰かが悲しんで、人が人を殺して憎んでまた悲しみが増える。法医学者ができることなんてほんの少し。負けそう・・・。」

 

「生きているかぎり、負けないわよ。なぁに世界の悲しみ背負っちゃってんの。一人でなんて持てっこないって」

 

壮絶な出来事があったからって、不幸に向かっていく理由にはならないってことなんですよ。生きることは勝ち負けではないけれど、ミコトにとってはあまりにも過去の出来事がわけわからなすぎて、あらがわなければ今にも「負けてしまう」存在。理解できない理不尽さというのは、いとも簡単に人生を狂わせる狂気なのだということ。

 

それを体現しいたのが中堂であって、狂ったままの人生は苦しみの連鎖しか生まないし、よほど意識しなければ流されていくだけなのだ。ミコトは中堂が本当に恨みを晴らそうとした様を見て思わず言った言葉、

 

「私が見たくないんです。不条理な事件に巻き込まれた人間が自分の人生を手放して、同じように不条理なことをしてしまったら負けなんじゃないですか? 中堂さんが負けるのなんて見たくないんです。私を・・・私を絶望させないでください」

 

まるで、絶望という名のもう一人の自分を止めるかのよう。私たちが過ちを犯したら、中堂のように見えない葛藤と重圧、恨みで道がそれてしまうでしょう。それはなにも発展的なことを生まない。だから破滅的な選択をしても意味がないし、しないでほしい。そんな作者の願いが込められているようにも感じられました。

 

 

 

 

ミコトの法廷弁論シーンのカタルシス

宍戸を襲撃し、取引するも証拠も隠滅、他に証明できるものはなくなった。死体損壊だけでは殺人罪に問えないのかと思いきや!そうは問屋が卸さなかったわねーー。

 

普通の刑事ドラマだったら、犯人の生い立ちから犯行に結びつけて終わりというのが高瀬のいう「テンプレ」なんだけど、そこは野木脚本、そうはならなかった。DNA鑑定の技術進歩により8年前の遺体からも証拠が検出できた。その時点で犯人確定!と思いきや、高瀬にすれば想定内なわけですよ。証拠が出ようとも認めなければ決着はつかないから、自白しなければいいだけのこと。

 

それがどうよ、今回の見事な脚本。ミコトが高瀬に対して発した同情というか軽蔑にも似たセリフが、まんまと自白を誘導し決め手になるとは。セリフが秀逸だったし、気持ちよかったわ~~~。大好きなセリフです。

 

「犯人の気持ちなんてわかりはしないし、あなたのことを理解する必要なんてない。不幸な生い立ちなんて興味はないし、動機だってどうだっていい。ただ、同情はしてしまいます。この可哀想な被告人に。被告人は今もなお死んだ母親の幻影に苦しめられています。30歳を過ぎてもなお、子供の頃のまんまなんです。誰も彼を救えなかった。あなたも自分自身を救えなかった。あなたの孤独に心から同情します」

 

ミコトと烏田検事が用意周到に練った証人喚問だったと推測するけれど、犯罪心理学を取り入れて自白まで持っていくためのシナリオだとしたらすごい。白を黒くする烏田検事というキャラ設定からそのような知識や経験があったということがここで見えてくる。

 

案の定、高瀬は「やりたくてやった。誰も成し遂げていないことを俺はやったんだ」と思わず叫んでしまったのだから作戦成功。おみごと。確かに自己顕示欲が強い人は、馬鹿にされることを嫌うものね。


高瀬を煽る目的もあったにせよ、ミコトの本心として同情したのだとしたら、ミコト自身も親の幻影に苦しめられてきた張本人なわけだ。高瀬との違いがあるとしたら、ミコトは三澄家に引き取られることで愛情深く育てられ孤独ではなかったこと。高瀬に「同情する」と言えるほど、ミコトは自分で自分を守ってきたということほかならないし、自分で自分を救うという人生の選択ができていたということ。生き方を選ぶとこんなにも雲泥の差になる。

 

さらに、3話の主婦ブロガー事件の被告・要一(温水洋一)や烏田検事に「責任転嫁は女の特徴」などとボロクソにいわれたり、直近でも書類の改ざんを促されるなど苦杯を喫したのにも関わらず、高瀬を殺人罪にする目的のために烏田検事と結託。かつて、事件解決のために中堂と発展的な取引をしたときのように、今できることはなにか?と考え行動する姿にすごく勇気づけられました。それこそが「自分の人生を選び、生きる」ということなんですもんね。

 

1話から9話までのミコトの行動をすべて辿ってきたからこそ、ミコトの高瀬への同情発言が自身のカタルシスともいえるシーンになっていて、観ているこちらもスーッと胸がすく思いがしました。

 

 

 

ドラマ全体の感想

1話から組み込まれてきた伏線の回収はもちろんのこと、不条理な死や出来事、トラウマと絶望を抱えて生きるということはどういうことなのか、いろんな立場のキャストによって表現され、とりわけ、ミコトと中堂の抱える不条理さへの向き合い方や、この二人の対照的なキャラ設定を描ききった脚本のすごさに心底感服しました。

 

家族の一家心中で一人だけ生き残ったミコト。その不条理さは深い絶望でしかない。家族を失う怖さや絶望から恋人と別れるはめにもなった。それが自分を「絶望」から守るためにそうするしかなかったし、必要だったともいえる。「絶望」という力はそれほど強力でいとも簡単に流されてしまいそうになる。

 

仕事に邁進し、美味しいものを食べるという行為で「負けないように」生き抜いてきた。同僚の東海林との女子トークではごく普通の可愛らしい女性なんだけど、時折見せる無表情さは一瞬「絶望」がミコトの中をよぎっているのだと思うし、食べる行為はまさに絶望を打ち消すためのミコトなりのサバイブだったのでしょう。そうでもしないと絶望に押しつぶされそうになるから。

 

絶望とは、流されてしまうのが簡単なほど人を飲み込み、人格を殺してしまうほど圧倒的な力をもっているのだと思う。ミコトのように「負けないように」仕事に昇華して邁進する人、中堂のように恨みを晴らすことを糧に闇の中を歩いていく人もいれば、六郎のように親に認められず自分の居場所を求めて放浪する人、最終話の犯人・高瀬や宍戸のように自己顕示欲丸出しで目的を達成しようとするものもいる。絶望した人間の求める矛先はいろいろなのだ。

 

どうみても、中堂、六郎、高瀬、宍戸のように負の方向に流れていくほうが簡単だろう。ミコトのように絶望に流されないように「負けない」と力を込めていることのほうが一番つらいと思う。なぜならそれは強い流れ(自分では絶対に認められない不条理さ)に対して、正面からぶつかって逆らっていることになるから。

 

1話で「死をなかったことにするんですか!」と息巻いていたミコトのセリフが、最終話にきてよりその言葉の重みを感じさせました。法医学者としての仕事への誇りとかなんとかじゃなく、ミコト自身の絶望を打ち消すかのように、法医学を通して不条理な出来事をなかったことにしないための証拠を積み重ねている。

 

中堂のように自暴自棄に恨みを晴らすことに血道を費やしても死んだ人が生き返るわけではない。死という現実を変えることができないのなら、せめて死の原因を法医学によって記録・解明し、後生に繋げていくことを選ぶ。法医学者として、不条理な出来事の当事者として過ちをくり返したくはない。連鎖をしないためにも負けない生き方を選ぶミコトの姿は、終始あっぱれとしかいいようがない。

 

2話で、六郎に「絶望とかしないんですか?」と聞かれて、「絶望している暇があったら、美味しいものを食べて寝るかな」とさらりと答えていたし、最終話でも「絶望している暇はない」と締めくくるあたりが、ミコトの絶望の深さを最後まで物語っているし、決して消え去りはしない。

 

最終話の法廷シーンで、高瀬に向かって言ったセリフは、高瀬を煽る目的だとしても、たとえトラウマがあっても自分で自分を守ることはできるのだという気高さを示した名シーンだったのではないでしょうか。

 

トラウマや不条理な出来事のせいすることで、なにをやってもいいという理由にはならない。確かに生きづらさの理由ではあるけれど、それを理由に屈折し続けなくていいし、自分の人生は自分で選択ができるのだと、あのシーンで教えてもらった気がしました。

 

最後、ミコトが母親からの電話で話をしていたシーンが、いつになく軽やかで、ミコトの抱える絶望に重さがあるとしたら、それが少し軽くなったようなそんなことまで見えてくるようなエンディング。晴れ晴れとしていて素晴らしかったです。

 

 

石原さとみ、アッパレでした

ミコトの抱える深い闇をみごとに演じた石原さとみの抑えた演技が素晴らしかった。今まで、どうしても可愛いルックス重視なキャピキャピした役柄が多かった気がするけど、映画「シン・ゴジラ」に続いてドラマ「アンナチュラル」で女優として新境地を開きましたね。ドラマ「校閲ガール」のときみたいに無駄に明るい役も可愛くて好きだけど、あのルックスだからこそよけいに闇が際立ってみえたし、ギャップがいい。今後も抑え気味な重い役柄(なんならもっと汚れ役)、みてみたいですね。

 

そうそう、「第11回コンフィデンシャルアワード」受賞されましたね。おめでとうございます!

confidence-award.jp

 

「ザ・テレビジョン」のドラマアワードはジャニーズ投票になっていてあれは信用していないけど、こちらはとてもまっとうな受賞結果になっており、わたくし大満足ですわ!

 

野木脚本の次回作、超超超楽しみにしています。なんなら、シーズン2やってくれないかなああ!