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【なつぞら】11話感想:ポパイ映像とラストの広瀬すずナレに対するウッチャンナレ返し

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Masaki EK | Flickr

 

以下、ネタバレが含まれます。観ていない方はご注意ください。

 

 

 

ポパイの漫画映画

今日は学校での映画会シーンからだったんだけど、ポパイとかディズニーとか実名出してることに驚き! しかも劇中でポパイのアニメ上映するなんて。権利とかどうなってんの?と思ったのでちょっとwiki先生で調べてみたところ、以下の情報が書いてあったので引用しますと、

 

(引用)

ハースト・コーポレーションのキング・フィーチャーズ・シンジケート(英語版)により著作権が管理、運用されている。初期作品は一話完結形式であったことから、米国司法による判断[要出典]では著作権については保護期間が満了しており、キャラクターグッズなどの商品化、あるいは二次創作については、著作権満了した作品からの引用であれば許可を得ずに製作することが可能。ただしポパイのタイトル、タイトルロゴ、および各キャラクター名はキング・フィーチャーズ・シンジケートにより商標登録されているため、許可なくロゴを入れたり名前を記述に入れたりすることができない。そのため、司法判断前に作られたゲームソフト「ポパイ」には「©1982 KING FEATURES SYNDICATE, INC.」の表示があるが、司法判断後に作られたパチンコ「CRポパイ」およびパチスロ「ポパイ」には「® Hearst Holdings,Inc. Licensed by King Features Syndicate,Inc.」と表示されている。

アニメの内、フライシャー・スタジオ(1933~42)、フェイマス・スタジオ(1942~57)製作分は倒産と版権不継承によりパブリックドメインとなった作品が多いことから幾つかの作品が廉価版DVDとして流通している。

 (引用ここまで)

 

映画会で上映されたのは、実際にアメリカで1937年に公開された「ポパイのアリババ退治」という漫画映画。ということは、上記にある初期作品や倒産やら版権不継承などのパブリックドメインのものを使用しているものに該当しますね。そこらへんはきちんとしているNHK。さすがです。ポパイは心配しておりませんが、「ディスニー」っていう言葉は大丈夫なんだね?? あそこはミッキーに模したネズミの形にもうるさい会社よお~。そこだけ心配しちゃった。

 

本当に、いろんな人、いろんな立場の心情を漏らさず描写するこの朝ドラ。映画上映もアメリカの娯楽漫画映画で、子どもたちは単純に喜ぶけれども、戦争にかり出されたり、思想を植え付けられた大人たちは複雑な思いであることも、天陽の父親のセリフでしっかり語られたところが印象的だった。学校のああいう行事も少なからず進駐軍が入り込んできて、なにかと指示していたのかもしれないよね。

 

 

天陽くんを助けたいなつの怒り

「俺はここで生きたいんだ! この土に勝ちたいよ!」となつの前で感情爆発させる天陽くん。荒れ果てた土地でどうにもならず、いよいよ離農かという状況に、なつはなんとか助けてあげたいと、泰樹じいさんに泣いてお願いするんだけど、あっけなく断られる。

 

このあたりは、よくありがちな展開なんだけど、このあとの柴田家の会話がすごいなと思ったのよ。

 

なつが泣いて頼むのを見て「優しい子だ」と感心する剛男に、夕見子は「好きなのさ、その子が」とさらりと言い放つ。するどい! 「そうなの? やっぱり」と富士子。この母にしてこの子あり。女の直感は鋭い。夕見子は子どもっぽいのかと思ったら、女の勘は大人以上かもしれないね。さらに「それはあなたがまだ子どもだと思いたいだけでしょう。好きになった子と離れたくないのね、きっと」とたたみかける富士子。女子の気持ちって意外とそういう理由だったりするのは事実。今後の夕見子と富士子の洞察力から目が離せそうもないよ。

 

最後、「自分がなぜそんなに怒ったのか」と広瀬すずちゃんナレのあとの、ウッチャンの間髪入れないナレ返しがすごかった。

 

「なつよ、それはおまえが今、少なからず幸せだからだ」

 

なるほど、たしかに。なつがまだ感情を出せずに我慢していたとき、自分の境遇に怒りすら出せなかった。同時に、そんななつをみて怒っていたのは夕見子だった。あきらかに、夕見子の方が家族がいて衣食住に困っていない、どちらかというと裕福であり幸せだ。

 

幸せな状態を知っているということは、不公平や不満も見えてくるし敏感になるということほかならない。なつは家出事件を境に、柴田家の一員として分け隔てなく育てられ、そのことを素直に受け入れ始めた。本当の家族じゃないとわきまえている分、酪農の手伝いはしているけど、それをのぞいたら柴田家のお嬢さんである夕見子と大差ないわけで、衣食住に困らない幸せな状態であるといえるわけよね。

 

その状態に身を置いたら、天陽の境遇との差も見えるし、その差に対して「怒り」を感じることもできる。さすがに柴田家の生活よりも下である天陽の家には、さすがに浮浪児だった経験があるなつでも気を遣ってしまった。

 

なつの怒りはなつにしかわからないというのは泰樹のいうとおりだと思う。純粋に好きな子が貧乏住まいで、その原因がうまくいかない開拓であるなら、そこをなんとかしたいと思うし、一生懸命働いている人ならば、誰かが助けてくれるという泰樹の言葉を信じたいわけよね。

 

だけどさ、都合良く思っているだけかもしれないよ、なつ。天陽くんはあきらめてないかもしれないけど、親はもうすでに放棄しているわけで、一生懸命働いているとはいえない。そこをどう捉えるかってところよね~。なんとなく、なつの熱心さにほだされて泰樹じいさん助けに行く流れなんだろうなーと思うけど。

 

とにかく、最後のウッチャンの返しにはやられた。怒りは幸せを知っているから感じられること。怒りのソースは、実は幸せから来ているとはね。自分の怒りも、ソースは幸せからきているのかもしれないな。