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【いだてん】24話第一部最終回感想:おしよせるカタルシスとバトンを受け継ぐ人々

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Matthew Bednarik | Flickr

 

 

 

第一部最終回。副題が「種まく人」ってもう、そのとおりじゃん。ずっと泣いてばっかりだった45分。今まで観てきたいろんな出来事が押し寄せてきてもう泣きっぱなし!

以下、ネタバレあります。観ていない方はご注意を。

 

 

 

今までのストーリーは第一部最終回のためにあった気がする

最初は、どうして落語とマラソン、なぜ2つの軸が交差するのか戸惑ったのだけど、第一部の流れからして、四三は出場したオリンピックで栄光を手にしたわけでもなければ、報われたわけでもない。むしろ、うまくいかないことが続いて辛くなるシーンも多かった。

そこへ、孝蔵(というか志ん生)軸が存在することによって、その報われない四三のエピソードを重すぎず、また、軽すぎないように適度に笑いという抑揚をつけた結果になったのかなと。もし、孝蔵軸がなかったらと仮定すると、美川くんや精さん、弥彦がそこそこ盛りあげただろうけど、物語もずいぶん重苦しいだけのものになったかもしれない。

今までの大河ドラマと比較しても、ナレーションは有名俳優を起用したり、あくまでもナレーションに徹するパターンが多いけど、今回はナレーションをする人を噺家にして、しかも志ん生、孝蔵、五りんと自在に切り替わりつつ、物語としても絡む存在にしたというのも新しい取り組み。こりゃあ、往年の大河ドラマファンは困惑する。でも、慣れてくると、場面の状況に応じて語り部が変わるところ、特に、孝蔵演ずる森山未來の語りはすごく染みいる感じがよかったし、第2部も引き続き出演されるようなので、どう落語軸と田端軸が絡んでいくのか楽しみだなあ。

※クドカン的にははじめは噺家のストーリーを書きたかったらしいですが、いろいろあってこういう形になったとか。いろいろとあるんだね、NHKと。

 

realsound.jp



四三が、本来の意味である「韋駄天」として終わったことの清々しさと、孝蔵のどうしようもなさが少し報われた両方のカタルシスがすごくて、終始泣きっぱなし。 

 

朝ドラ『あまちゃん』のときも思ったけど、本当にクドカンの脚本は弱者とかクズとか失敗とか、どうしようもない人間に優しい。と同時に、人の数だけそれぞれのストーリーがあって、失敗も愚かさもこの世に生を受けているかぎり、すべてが愛おしいものなのだということを教えてくれる。

『いだてん』はそれがもっと壮大になったように感じる。どの人も突き詰めればどこか間抜けだったり、バカが付くほど真面目だったり、どうしようもない一人ひとりなんだけど、必ずどこかで輝ける場所があるし、その場所で輝けるようになっている。

代表的なのが2つの軸を分かち合う四三と孝蔵。四三は家庭を顧みないランニングバカだし、孝蔵(森山未來)も飲む、打つ、買うのクズっぷり。だけど、この二人が関東大震災で威力を発揮するシーンなんてもう、人の輝きとはなんなのかをみせてくれるいいシーンばかりだったわ。

 

 

被災者に寄り添うセリフたち

まず、孝蔵軸。孝蔵ががれきの中に作られた寄席に吸い寄せられて落語をするところとか、普段はどうしようもないクズでも、噺家の端くれという自覚だけはあるわけよね。彼の落語という才能が、被災した人たちを喜ばせるくだりなんて胸アツすぎる。

さらにバラックでの小梅、清さん、孝蔵の語り合うシーン、こんなにも被災者の心情というか人の弱さを優しく包むセリフあるんのかってくらい涙止まらなかったよ。

ふさぎ込んでいてもどうしようもないし、たまには笑いたいし酔っ払いたい。どんなに日中元気な大人でも、夜になるとどこからかすすり泣きが聞こえる。気持ちがわかるからこそ、それを聞こえないふりをする。そして翌朝、何食わぬ顔して挨拶をする。

 

(引用)
孝ちゃんにはよ、そういう落語をやってほしいな。
笑っても泣いてもいいじゃねぇかってやつをさ。
(引用終わり)


このセリフを峯田くんに言わせるのって反則じゃーーん! 泣くに決まってんじゃん。


人間は弱い。弱いから泣いたり、腐ったり、やさぐれたり、強がって笑ったりする。だけど、それでもいいじゃないかと。それが人間なんだよと。そもそも、落語の噺って、そんな人間をおもしろおかしく語り継いでいる芸でしょ。

大河ドラマ的には金栗四三がW主演の一人だし、マラソンに尽力したヒーロー扱いされてしかるべきかもしれないけど、クドカンはそうはしなかった。孝蔵軸を加えただけでなく、四三以外のキャラ全員もそうだし、バラックで横たわる人々すらも純粋に人間の営みとして大切に描いているんですよ。そういうところが好き。

例えば、孝蔵が噺の流れで客とかけあいみたいになって、いい感じに絡む人たちのちょっとしたセリフなのに、その人の人生が見えるような気がしたし、クドカン脚本の描く世界観がそうみせるんだろうなと思った。ぶっちゃけ、震災描写って人の弱さが多く描かれるものだし、ドラマとして描くにはさまざまな配慮とかかなり大変なことだと思うのよ。

『あまちゃん』のときの、ユイちゃんが震災のショックで東京に行けなくなった描写なんかもそう思ったよね。東京に行けないユイちゃんに寄り添って、地元でアイドルすればいいとみんなが寄り添う。そのときもそういうふうに描くんだ!と驚いたけど、さすがに大河はそれ以上だった。

災害で前向くだけじゃなく、傷ついた人も大勢いることをちゃんと描くんだよ。みんながみんな前向きなんじゃない。前を向くタイミングだって人それぞれだし、なにも無理に前を向く必要もない。そういうことを包括して描くってすごくないですか。

 

シマちゃんの夫・増野の描き方もそうで、実際に行方不明者を探している人もいる。そこへ、増野に人見絹恵という希望をみせるって、なんて優しい脚本なんだろうと。

もうシマちゃんは見つからないかもしれないけど、シマちゃんの思いが「希望」という形になって繋がっていった。それだけでも少し前をむくきっかけになる。人にはなんであれ生きるための「希望」って必要だよなと思ったわよね。

シマちゃんの幻が消えたとき、ハッと我に返る増野。人見絹恵も我が子であるりくも、日々育っていくことに希望を見いだした終わり方にただただ感涙。『あまちゃん』の時もグッときたけど、今回はそれ以上の感涙だったわ。

 

 

なにもできないという無力感

四三軸。関東大震災でシマちゃんを探しても探しても見つからない。無力感を痛感していた四三が熊本へ帰ったシーン。そもそも人間は無力ということにも気付かされ、今まで通りバカみたいに走ればいいと悟るんだよね。

単純に四三の気付きのシーンなんだけど、これは今まで私たちが感じてきた無力感に通ずる気がしたんですよね。さまざまな災害があっても直接現地支援に行けないばかりか、支援物資も十分な資金支援もできない無力感。

特に東北大震災のとき、自分が実際になにもできなかったことを思い出す。被災地に行って力仕事をするわけでもなく、芸能人のように楽しませることもできない。ただただ無力感と罪悪感で月日が流れていったのだけど、今回の幾江と四三のセリフで我に返った気がしましたね。幾江のように富があって物資を分配する人、四三のように「足」がある人は物資を運ぶ人、現場で炊き出しをする人、いろんな役割があっていいんだよね。

自分は今いるところでできることをする。今いるところで働いて少しでも税金を納めること(※実際に「復興特別所得税」が創設されて支払っているわけだし)。それが私たちにできることなんだよね、と思ったり。

 

そして、さすが大きな家の主人である幾江の気っぷの良さにシビれた。大竹しのぶの下からくる太いドスのきいた声がいい! 普段は熊本に帰ってこない四三に文句ばかりなのに、今回ばかりはその逆。韋駄天について語る幾江。人のために走って食料を集めて運んだ神様だといい、実母(宮崎美子)が「だからご馳走っていうたばい」ってと補足説明をさりげなく入れたのは、NHKのバラエティ『日本人のおなまえ』に出ているから言わされたんだねとツッコミを入れたりして。

走ることが好きで、ただただ走り続けた四三。オリンピックに2回出場するも記録を残せず、結婚しても走ることやスポーツ振興・育成することに夢中で、ぶっちゃけ、家庭人としてはどうなのかって思う男だけれど、その走り続けて鍛えた足が、震災で荒れ果てた街を物資を運ぶために走り回り、ちゃんと活かされるところで活かされた、まさに韋駄天。復興の力になる終わり方。こんな報われ方ってあるんだね。

治五郎さんが運動会をするにあたって語ったセリフ、一字一句、現代にもそっくりそのまま当てはまるんだよ。東北大震災からはずいぶん立つけれど、それ以降も熊本や北海道などの地域で震災が起こっているし、被災して傷ついている人たちはいっぱいいる。その中で、唯一の希望である子どもたちにスポーツを通じて元気づけたい。オリンピックを見たい。スポーツによる復興。まさに今度のオリンピックのテーマを地でいくじゃない(そこは狙ったんだろうけどさ)。やっぱり、ふさぎ込んでいるときこそ「希望」が必要だし、人よりも秀でた才能を持つアスリートの姿やすごい人っていうのは光だよね。光は輝かないといけないんだよ。

自治会長の峯田くんとの運動会開催交渉もなんだかリアルだったね。バラックにはいろんな思い、状態の人がいる。なのに、シマちゃんの旦那・増野さんのひと声で決まってしまうのってどうなの?とも思ったけどさ、シマちゃんに免じてここは許すよ。

 

 

シマちゃんは遺伝子を残した

最初から、五りん(神木隆之介)の存在はキーだなと思ってはいたけど、それも少し前の回でちゃんと伏線回収され、四三軸と孝蔵軸がますますクロスしていく。関東大震災を描くにあたり、完全にお互いの軸が必要だったのか!?と勝手に合点がいった。

まったくかけ離れた軸同士なのではなくて、互いにバトンを繋ぎ合ったことを描いたってことでしょ。それがシマちゃんの孫であり、志ん生に弟子入りした五りんがその象徴。2つの軸が五りんによって交差する。五りんの存在自体はフィクションだろうけど、だとしても、このうまい繋ぎ方は恐れ入ったなぁ。ああ~~もう思い出しただけで泣けてくる。

復興運動会ももう泣けて泣けて! 開催決定のシーンからナレーションが五りんに変わったんだけど、この細かな繋げ方がすごすぎて涙がまだまだ止まらないわけよ。だって、五りんはれっきとしたシマちゃんの子ども・りくの子であり、シマちゃんの孫なわけじゃん。シマちゃんの遺伝子がこうして命のバトンとして繋がっているんだよおおお。

それだけでない。シマちゃんが叶えたかった陸上の夢を託した人見絹恵(菅原小春)の登場。彼女こそがシマちゃんの意思を託された人なのよ。小春ちゃん適役すぎる! シマちゃんの手紙が泣ける~~~~!!! シマちゃんの遺言みたいになってしまったけども~~。

さっきも書いたけど、増野さんがその手紙を読み、絹恵の走る姿を見て驚嘆し、シマちゃんの託した夢を目の当たりにする。そして、シマちゃんの意思が絹恵に伝わっていったことへの安堵と、同時にみたシマちゃんの幻。もうシマちゃんが戻らないであろうというあきらめと希望の入り交じった柄本佑の演技の素晴らしさよ。この回のMVP差し上げたい!!

で、増野さんの表情から次のカットがおんぶしているりく、そしてナレーションが五りんに繋がるって、もうもうもう!!! その流れがバトンになってるわけよおおお~~~。涙止まんない~~~。

エンディングもマラソンバカの四三はゴールしてもただただ走り続ける。それは、彼にとってゴールなどなく、大会だろうが人生だろうが走り続けることを示唆したのかなと。とにかく一生懸命バカみたいに走る姿はただただ清々しいし、元気をもらえる。なんという素晴らしい第一部大団円だろう。第二部もまた楽しみになりました。

今回、視聴率はよろしくなかったようですが、ずっと追いかけてきた人にしてみれば、この第一部最終話が、今までのいろんな苦労(四三もそうだけど、例の事件のバタバタ)を総ざらいしてねぎらってもらったようなあたたかさと至福感に包まれて、最高だったとしかいいようがないです。

できることなら最初から見直したいくらいだけど、NHKオンデマンドでは、例の出演者が出ていた3~8話は配信してない模様。あっちゃー。どうするんだろう、これ。やっぱり撮り直しって大変なんだろうか。

総集編はうまいことカットしてしのぐのかもしれないけど、このまま未来の再放送も、オンデマンドもDVD化もなくなるのかなぁ。去年末の傑作ドラマ『フェイクニュース』もそうだけど、いいドラマがことごとく出演者の不祥事でお蔵入りするのだけは残念でならないわ。こんなにおもしろいのに最初から見られないなんて!! 



次回からいよいよ第二部。阿部サダヲ演ずる田端も一癖ありそうな、愛すべきキャラっぽいのがもう目に見えてて楽しみすぎます。他の共演者ももう朝ドラがらみだし。また薬師丸ひろ子と小泉今日子がニアミスしたらおもしろんだけどな。

 

おしまい。