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【半分、青い】第25週感想:うまくいかない人生経験者ほど刺さるドラマだと思う

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Shinichiro Hamazaki | Flickr

 

少しだけネタバレありです。

 

 

このドラマ、賛否両論ありますが、ここまで人生いろいろあるよ的な展開をみせて、ある意味朝ドラの常識を破ったのは初めてじゃないですかね。朝ドラとしての大まかで基本的なプロットはなぞっていると思われるのですが、こんなに主人公がキャリアをどんどん変えたり、極貧生活を強いられるのも珍しい。社会人になってからの鈴愛はずーーっとファストファッション。チェック柄やボーダー柄、もしくは地味な無地で、振り返ってみても華やかだったのは、まーくんに借りたボディコンを着たときだけ。こんな貧乏ヒロイン設定、ありなんですね。

 

今までの朝ドラも結婚して才能や仕事が開花していくパターンはが多かったけど、漫画家として成功したかのようにみせかけて挫折、百均でバイト、ギリギリ生活、結婚と離婚、シングルマザー、起業(しかも地元でカフェを立ち上げたあと、すぐに東京で起業)と、現代のどこかで起こっているような人生の描写。あのクズと死人が続出した「純と愛」ですらヒロインは苦難にまみれても夢を諦めなかったのに、「半分、青い」はヒロインに才能があったかのようにみせて、アイデアの枯渇によって断念し、バイト生活に突入するところが新鮮。

 

今までの朝ドラなら、諦めそうになったりピンチになっても、家族が励ましたり支援者が現れて乗り切るパターンなのに、自分の才能しか当てにならない世界で、どうにもならなくなる描写がリアルだと思いましたね。それは鈴愛だけじゃなく、先に枯渇して辞めたゆうこも同様。好きなことだからって続けられる保証はない。秋風先生とボクテの存在が希望ではあるんだけど、彼らもかつては挫折してそこから這い上がったので、才能が長く続くか短く終わるかの違いなんだろうね。芸術の世界は厳しくも儚い世界だ。まさに鈴愛は自身の作品「一瞬に咲け」は、漫画家として本当に短い一瞬に咲いた才能だったことの皮肉になってしまった気がする。

 

堅実なのは岐阜県在住の人々と律くらいで、東京編の人物たちはみんな夢と挫折を行き来し、または挫折(離婚を含む)を味わった人たちばかりしつこいほど登場させる。大納言の店長、涼次、涼次の出戻り三姉妹、映画監督、津曲の存在が妙に生々しくて、彼らのエピソードに触れるたびに挫折を味わった私のような人間には刺さりまくって仕方がない。

 

中でも、劇中のクズ中のクズというべき鈴愛の元夫・涼次とのエピソードは、鈴愛の漫画家挫折の次に胸にくるものがありました。

かつて鈴愛も漫画家というクリエイトする立場に身を置いた経験から、涼次への理解もはじめのうちはあったわけですよ。自分は挫折したけど、涼次の夢が叶うならと応援し、その夢が叶いそうになるも思わぬ形で頓挫。一度は諦めて家族のために生きようとした涼次が、夢を再燃させてしまい、今度こそ夢を叶えようと家族に相談せずに話が進んでしまった。もう涼次の心は映画のことでいっぱいだし、そちらの世界にいきたくて仕方がない。それは不安定な世界に飛び込む事であり、家族や生活を顧みないほどの時間と集中が必要になる。映画監督は会社員と違って定時で終わるような仕事ではない。

鈴愛も漫画家だったころ、夜昼関係なく漫画に没頭していた時期があったけれども、それはもう過去の話。完全に辞めて母となったことで、子供を守り生活することが最優先であり、夢を諦めた涼次も同じ気持ちだと思っていたのに、また夢を見だした涼次へ対する憤りがあったんだと思うんですよね。妻子を捨てていくこともそうだけれど、自分には才能がなかったのに涼次には才能があり認められた。自分にはないものを他人が持っているときの憤りが強かったのではないかと。

そこでちゃんと家族と経済的なことを話し合うとかしていれば、なにも離婚せずともなんとかなった気がするんだけど、勝手に話が進んで決断してしまった涼次。鈴愛はギリギリの生活を支えてきたのに・・・という思いもあったでしょう。そのへんがちょっと思慮深さがないというか、自分のことしか考えていない、いいとこ取りだけしたいという涼次の子供っぽさ、夢見がちな若さと愚かさ。

 

自分もかつてそうだったし、今もその傾向があるだけに心が痛い。刺さる。私も、かつて涼ちゃんみたいに夢みて自分勝手に行動して、結果失敗するという、離婚にはならなかったけど夫に嫌な思いをさせた事があるので、涼次のエピソードは心情的に似ていることもあり刺さりすぎてつらい。

 

9月22日放送分で、久しぶりに涼次が登場。涼次の罪悪感にみちた演技もいい。鈴愛の完全に許してはいないけど、子供とっては父親だし会わせてあげたい。家族を捨ててまで映画監督として成功したことは、複雑だけど喜ばしいと思っている。そんな複雑な心情の演技にグッときてしまって、3回観て3回とも泣いてしまった。漫画家編で鈴愛が描けなくなったキレ演技も最高に好きだけど、今回のシーンもよかったわー。

 

クズといえば、ドラマ後半に出てくる津曲もそうとうなくせ者で、いかにも業界人にいそうなうさんくささ満載で、会社が倒産しても鈴愛に後処理させたまま逃げたり、人のものを平気で盗む。ここでも鈴愛は涼次に続いて理不尽な目に合うんですよ。ドラマ終盤に来てまで「純と愛」再来かのような胸くそ悪さなんだけど、津曲がいじめにあっている息子の前ではいい父親でいようとし、ほとんど犯罪を犯しているにもかかわらずその息子によって救われるところは、展開にかなり無理を感じつつ、どんなクズでもやり直しができる、やり直そうということをとにかくいいたかったのかな。

 

主人公の鈴愛をはじめ、今まで出てきたキャラクターほとんどが「やり直し」の人生だし、登場人物の中で唯一人生設計が安定していた律でさえ、離婚や転職で人生の岐路に立たされ、新しいスタートを切ることになったわけで、このドラマの根底に流れている「人生いろんな事が起こるし、いつでもやり直しができる」というメッセージが最後までこれでもかと押し寄せ、転職が多くてクズ出身の私でさえ、人生いろいろあるけどがんばろうという気持ちになりました。

 

 

華丸さんが指摘したプロポーズシーンについて

2018年9月21日放送の「あさイチ」、律役の佐藤健がゲストだったのですが、意外とトーク力があるのと答えをきちんと言語化して期待に答えようとする順応力がすごい。たまにテレビが苦手で朴訥さを前面に出す俳優さんもいるなかで、佐藤健はそういうのがない。正直、あのルックスからアイドルっぽい位置づけの俳優さんで、チャラいイメージが先行していたけど、こうして真摯に向き合う姿勢に好感度アップ。今までチャラいとかいってごめんよ。

あと、華丸さん、ただの朝ドラ受けしてただけじゃなくて、ガチでドラマ好きだったとは(ちょいちょい「ぎぼむす」ネタもぶっこんでたし)。だからあんなにのめり込んでドラマの話ができるのね。今までは主婦ネタについていけず、「みんなごはんだよ」コーナーも無理矢理感がハンパないただのおっさんだとばかり思っていたけど、朝ドラ視聴者を代弁したかのような北川さんへの疑問をぶつけて言い負かしたインタビューは最高。それが、スタジオのゲストトークでも発揮されればいいのに、ドラマに関係ないゲストだとめっきりトークしなくなる華丸さん、わかりやすすぎます。

 

華丸さんが指摘したシーンは、自分たちが生まれたときに取り上げてくれたきみか先生の還暦祝いパーティーに呼ばれた二人が夏虫駅で再会し、律がいきなりプロポーズするシーン。この段階では律はしばらくストーリーからいなくなっていて久しぶりの登場、鈴愛は漫画家として奮起している最中、二人は何年も前に秋風ハウスの七夕飾りを最後に別れたっきり、久しぶりの再会という設定。それがいきなり、少し会話しただけでいきなり律のプロポーズ、確かにあれは「えええ!?」と思った。今の鈴愛の状況を確認もしないままに言ったもんだから、そりゃあ鈴愛も「無理」ってなるわーと思ったし、鈴愛もまたあのとおり熟考しないタイプなのですぐに返してしまうじゃない。律の言葉足らずで不器用なところがああいうことをさせてしまった気もするのよねぇ。

 

北川さんのこういう感覚的なところや話が飛んだり説明足らずな点が女性的だし、クリエーターっぽいなとつくづく思いましたよね。北川さんの発言で「律は短冊を持ってきたことがプロポーズの決意」みたいなことを言っていたけど、きっと北川さんの中でだけそういう位置づけだったんでしょうし、他の人に共感されるかどうかはきっと考えていないんでしょう。

 

あのシーンで個人的に感じたのは、短冊を飾った当時、律がきっぱりと「会うのをやめよう」と言い切ってからの月日の経過を表すもので、あれから夢を求めて大学院や就職先も決まったよ的なことまでは想像できるけど、その間会ってもいないのにいきなりプロポーズって、華丸さんじゃないけどいくらなんでも面食らう。自分がいわれても断るか、もしくは「ちょっと待て。どうした?」とワンクッションいれる。鈴愛も律にそういう問いをしてほしかったけど、漫画家としても余裕がないときだったからしょうがないし、鈴愛に相手を思いやる部分があまりにも少ないのでそれはないだろうし。

 

そもそも、律のキャラは黙っていても人が寄ってくるイケメンだけどコミュ障設定なので、自己完結して行動するのはあり得る話。実際、鈴愛に振られたあと、別の人との結婚報告をハガキでサクッと送るところからして、そういう人なんだよ律という人は。

 

律の性質からあれこれ考えると、あのシーンはあのままでいい気がしてきた。素直にすんなり二人がくっつくわけない。幼なじみというなれ合いと本音が隠れてしまう間柄なら起こりえることかも。

 

こんなふうにいろいろ想像したり考えを巡らせることも楽しみになることを教えてくれたドラマだということでよいのではないでしょうか。だって、いちいちキャラクターの心理状態を全部セリフにするわけにもいかないでしょうよ。普通の人間が心の中の言葉が表に全部出ないのと一緒。

 

全編通して観てきて、たしかに展開が早かったりした部分はあったけど、さすが恋愛ドラマの女王と言われた北川さん、男女のシーンのセリフはさすがだなと思いましたね。律と鈴愛、鈴愛とまーくん、鈴愛と涼次、それぞれの心が近くなっていく描写はドキドキしたし、演出もきれい。特に恋愛関係の男女を横並びにさせて会話させる演出は昔からあるなぁと思ったり。ちょっとポエムのようなセリフはあまり好きじゃないところもありますが、「ロンバケ」の頃よりも成熟して、恋愛だけじゃなく人生のさまざまな場面で挫折することの人間臭さをいろんなキャラクターで等身大に表現している点や、男女間の機微の描写は北川さんさすがだなと思いました。

 

たぶん、このドラマをみてあれこれツッコミたくなる人って、まっとうに生きてしっかりとした正論をもっている「まともな」人なんだと思うんです。クセのある登場人物たちのように泥臭くてまともになりきれず、人生紆余曲折だらけの私のようなクズ経験者は、このドラマから勇気と癒しをもらっていたのは確か。手放しで「このドラマすんごく好き!」までのテンションではないけれど、クズ人間でも少しだけ認めてもらえたような、心に小さな勇気が灯されたような不思議な感覚と、いつからでも再スタートをきりたくなる、そんな気持ちが残ったドラマでした。